逢妻女川の章

「ねえ おじいちゃん、逢妻女川の話しをしてほしいなぁ」

「ほだなぁ わしらが子供のころは、女川はきれいだった。
貞宝、白山、砂山の山間から 湧き出る清水を集めて、水かさはそんなに無かったけんど、それはきれいに澄んでいた。
水底の石の一つ一つの模様もゆらゆらと透かして、すっと横切ってゆく小さな魚の影さえ もはっきり見えたもんだった。
水面すれすれにシオカラトンボや軽やかなイトトンボが 飛び交い、水中から伸びた草の先には、ハグロトンボが羽根を休め、手のひらほどもある 大きなオニヤンマは 、ギラギラの太陽にさえ挑んでいくような勢いがあったのう」

「水車小屋もあったって本当なの?」

「あった、あった、本郷橋の近くにあったのう。
川の流れにあわせて日がな一日ギーゴ ットン、ギーゴットンとのんびりと米を搗いておった。
のどかな音はそのまま、村の生活 のリズムだったような気がするなぁ。
あの辺でもよく遊んだもんだ。
水車を廻すためドンドンの近所は深くなっていてね、そ こへドブンと飛び込んではお互いの肝試しをしたり、水車の回転を早くしたり、遅くした りして『米がきれいに搗けない、ばかもんが……』と叱られたこともあったっけ。
寒い朝なんぞには、凍って止まっている水車に何本も氷柱が下がっておってのう、 それを折ってきては『わしのが長い』 『いや俺の方が大きい』と比べっこを したもんだ。
それから、わしも聞いたことだが悲 しい話もあってのう。
搗いておいたはずの大切な米が盗まれ たり、水車の近くで髪を梳いていた女 の人が水車に髪を絡ませて水死すると いう事故にあったということだ。
その後、水車に着物や髪が絡まった時 はすぐ切れるようにと鎌が常置してあっ たらしいぞん」

「ふーん 恐ろしいねえ。
おじいちゃん は女川で泳いだの?」


「女川はきれいだったけれど 泳ぐのは 郷中の峠池や、宮新の丸薮上池などで 泳いでいた方が多かったなぁ…
上池は所々深みがある池でのう、上級 生がわしらをタライに乗せて深みまで連れて行き、いきなりタライをひっくり返すんじゃ。
わしらは必死こいて岸まで泳いで戻ったけんど、わずか7〜8mぐらいの距離がなんとも 長く感じたもんだった。
今思うとそうやって、泳ぎや遊びを教えてもらっていたんだなぁ……」

「ねえどんな遊びをしたの?」
「ほだなぁ 女の子は河原で赤い撫子の花を摘んだり、浅瀬に石を並べて水路を造り、 自分の思う方向に水を導いたり、水しぶきをあげて鬼ごっこなどをしておったなぁ。
そうそう、日本手拭いの両端を二人で持って、魚をすくおうとしている子もいたっけ。
まあ そんな代用網で捕まるドジな魚はおらなんだがね。
ハッハッハッ」

「おじいちゃんたちはどうやって魚を捕ったの?」
「わしは示し合わせて集まった、わんぱく仲間とカイドリをよくやったのう。
魚が居そうな場所を決めると作業にとりかかる。
上の流れを田圃に引き込んで水を止め、 下流には土を積み上げて堰を造り、溜まっている水をバケツでかい出す。
水の少なくなっ た川底にはフナ ドジョウ モロコ ハエなどがどっさりいて、ザルですくうと魚が飛び上 がったもんだ。
時にはウナギも捕れたのう」

「そんなに沢山の魚がいたの?」

「フナ ドジョウ モロコ ハエ ウナギ メソ トチカブ アカモト シラハエ ホテ ナマズ コイ ライギョ……
名前をあげればきりがないのう。
そのほかに虹のような色をしたヒ ラタ(タナゴ)は一番人気があって、 メダカやモロコといっしょに水槽で 飼っていると、仲間に自慢ができた もんだよ。
わしには魚を飼うことで、今でも忘 れられない苦い想いが残っている。
きれいな砂地に隠れているスナモグリ という魚だけはどうしても飼育できな かった。
何度捕まえてきても一週間ぐらいで 白い腹をだして浮かんでしまう……
捕まえた場所の砂を水槽に入れても ダメだったし、図書館で調べても、 先生に訊ねてもよくわからないまま 庭の隅に小石の墓が増えていくばかりだったよ」

「なんだかその魚を捕まえたい。
もういない?」


「淋しいことだが、清流にすむスナモグリだけではなく、他の魚も捕まえるどころか、い つの間にか、その姿さえ見ることができなくなってしまったのう……」

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