千足町川端に、鳳面館(ほうめんやかた)と呼ばれる館跡があります。 千足は、江戸時代にわかれて千足村になりましたが、昔は、本地村の一部で した。本地とか本郷という地名は、その周辺地域の中では、最も早く人の住み ついた所で、元郷とか親村といわれています。 ![]() それがいつ頃であったかは、はっきりわかりませんが、平安時代の終わり 頃で、武士がこの世の中に現れ始めた時代だろうと思われます。 それまでの武士は、貴族からみれば、源氏や平家ですら、立って歩く犬ほど にしか見られていませんでしたが、それでも地方では有徳者でした。 有徳者というのは、年貢などの収入がたくさんあり、金持ちの有力者のことです。 この頃、世の中は乱れていましたので、土地を多く持っている地主や、中 央から地方への役人になった者は、自分の土地や家を、自分の力で守る必要があり、 屋敷も外敵を防ぐため、堀や土塁を築いていました。 ![]() 明治十九年にできた地積図をみると、土塁と思われる所は、草生えとなって おり、まわりの土地より高いことが伺えます。 この館の坪数は、堀の内側だけでも一千坪もあり、さらに堀の外側に若党屋 敷や年貢を納める蔵も作られたことでしょう。 館の東側に逢妻女川が流れ、南側に鴛鴨と三好を結ぶ古道があります。 水陸交通の便もよいこの館の主は、相当大きな権力をもった豪族であったと 思われます。 |